おすすめのタグ

紙は学習効果が高い?! 改めて考える紙の良さ
~群馬大学 柴田博仁教授へインタビュー(前編)~ 紙の効用

2025.01.30

紙製品は植林木や製材残材の利用、古紙リサイクルなどの取り組みで環境負荷の軽減を実現しているが、「環境に悪い」というイメージがつきまとい、職場や教育現場での減少傾向が続いている。デジタル化が進む現代に「紙の良さ」をもう一度見直すため、認知科学のアプローチで紙メディアの可能性を研究している群馬大学情報学部・柴田博仁教授にインタビューを行った。

<柴田 博仁(しばた ひろひと)>
1968 年生まれ。コンピュータ科学者、認知科学者、群馬大学情報学部教授。
富士ゼロックス株式会社研究主幹を経て、2020 年 10 月から現職。人工知能学会理事、 JBMIA 電子ペーパーコンソーシアム副委員長などを歴任。
著書に『ペーパーレス時代の紙の価値を知る―読み書きメディアの認知科学』(産業能率大学出版部/共著:大村賢悟)等。

紙と鉛筆が生み出す知的行為

―先生は以前、富士ゼロックス株式会社にお勤めされていました。これまでの経歴と研究領域について教えていただけますか?

私はもともとIT屋なんです。コンピュータの研究を本格的に始めたのは、修士課程を出て富士ゼロックス株式会社で研究員として働き始めてからでした。博士を取るために会社を離れた時期もありましたが、研究員としては20年近く、主に知的活動を支援するためのユーザーインターフェース(UI)を研究していました。その後、やはり大学で研究をしたいという思いを強く持つようになり、2020年から群馬大学で教授を務めています。

研究員時代から一貫して取り組んでいるテーマは「人間を賢くする道具を作りたい」というものです。人間を賢くする道具とは何かというと、たとえば算盤です。算盤自体は枠の中に珠があるだけのシンプルな道具ですが、人間とのインタラクション(相互作用)によって、頭の中だけではできない非常に複雑な計算が可能になります。そう考えると、算盤は充分な知的道具だと言えるのです。

現在はコンピュータがあるので、コンピュータのUIを工夫して新しい知的道具になるソフトウェアを作ろうと考えていました。ただ、その研究をしているうちに、人間の非常にベーシックな能力である「読み書き」の支援には、シミュレーションやデータ処理が得意なコンピュータより、紙と鉛筆のほうが向いているのではないかと考えるようになりました。

紙と鉛筆でできるのは、紙の上に何かを書くことだけです。ですが、その行為からとてつもなくクリエイティブなものが生まれてきます。数式を書けば複雑な計算ができるし、メモからノーベル賞級のアイデアが生まれることもあります。
紙と鉛筆にはコンピュータのようなコマンドもなく、それだけではなにもできません。そこから様々な知的行為が生み出される秘密を解き明かすには、人間がどう環境や世界を知覚しているかを学ぶ必要があると感じ、研究領域を認知科学に移して現在に至っています。

―研究成果は著書『ペーパーレス時代の紙の価値を知る~読み書きメディアの認知科学』で発表されています。執筆のきっかけは何だったのでしょうか?

富士ゼロックスでの所属部門は、現業であるプリンティング事業に継ぐ新しいビジネスを生み出すことがミッションでした。その一環でペーパーレス環境を徹底して研究するプロジェクトが立ち上がり、私にも声がかかったんです。
そこから紙とデジタルを比較するため、様々な認知科学的実験を行いました。たとえば文章を読むときでは紙とディスプレイのどちらが効率的か、理解度はどう違うかといった内容です。
私自身、研究を始めた当初は「紙はなくすべきもの」と考えていましたが、やがて紙の良さを追求する方向に変わっていったのです。それらの研究成果を一冊にまとめたのが『ペーパーレス時代の紙の価値を知る~読み書きメディアの認知科学』です。
部門のミッションとある意味では矛盾していましたが、長期的には有益で意義のある研究ができたと考えています。

紙とデジタルの使い分けをデザインする

ジャン・オノレ・フラゴナール『読書する少女』
National Gallery of Art提供

―紙の良さを見直す分岐点はどこにあったのでしょうか?

大きなきっかけは実験結果です。紙とデジタルの機能を比較すると、紙のほうが明らかに優位な局面が多く見られました。また、紙を一切使わないペーパーレス環境を作ったところ、業務効率が落ちるという結果も得られました。
こうした結果を考察するうちに「紙は本当になくすべきものなのか」と考え直すようになりました。また、実験で得られた知見をコンピュータに導入すれば紙をなくせるかというと、それも考えにくかったのです。
ただ、デジタルにも明らかな利点が存在します。私も日常的にデジタルツールを使っていますし、デジタルが不可欠な職場がほとんどのはずです。
そのため、紙とデジタルについて私の出した結論は「使い分け」です。どちらか一方を選ぶのではなく、どう使い分けるかのデザインが重要だと考えています。

―紙の優位性はどういう場面で発揮されるのでしょうか?

たとえば「読む」行為に注目してみましょう。実は紙でもデジタルでも、文章を読むスピードや理解度に大きな違いはありません。紙のほうが目は疲れないという人もいますが、眼精疲労を測定する客観的指標にも違いは見られないことが多く、眼への影響はあまり大きくないだろうと私は考えています。
ジャン・オノレ・フラゴナールの『読書する少女』という絵には、椅子に座った少女が片手に持った本を静かに読み進める姿が描かれています。このイメージが象徴するように、読みは一人で没頭する行為という印象が強いかもしれません。
しかし、先頭から1ページずつめくるような直線的な読み方は、特に業務や学習のシーンでは稀です。「読む」とは線形ではなくジグザグで、複数の文書を並べたり、ページをパラパラめくったり、人に見せて意見や感想を言ったり、書き込みをしたりと、多様な行為を伴っています。

紙は扱いやすい「操作メディア」

横書き文書の読みやすい位置と角度 【出典】Shibata, H., Omura, K., and Qvarfordt, P. (2018). Optimal orientation of text documents for reading and writing. Human-Computer Interaction, 35 (1), 70-102, Taylor Francis.

ひとつ面白い事例を紹介します。以前に他の大学で試験監督をしていたとき、試験問題を読む学生たちの姿からあることに気がつきました。自分の体に対してまっすぐ解答用紙を置いて読んでいる人がほとんどおらず、大半が斜めに傾けて問題を読んでいたんです。私の目から見て集中している人ほど傾きは大きく、たまにいる逆方向に傾けている学生は、よく見ると左利きです。「人は文書を利き手の方向に傾けるのか」と気づいて、テスト中なのに声を上げそうになりました。
この発見を検証するため、実際に文書の傾きを探る実験を行いました。机の上の好きな場所と角度に文書を置いてもらい、「触らずに読む」「なぞりながら読む」「下線を引きながら読む」の3種類の方法で、読みやすい角度を調べてみました。
結果は興味深いものでした。人間工学的には文書を体の正中線上に置いたほうがもっとも読みやすいはずですが、集中を要する読み方ほど傾きは大きくなります。その原因は手の動きです。斜めの文書では肱を中心とした回転運動でなぞったり書いたりできるので、動きは小さく効率的になります。集中する局面では人の行動は眼よりも手に文書を適応している、つまり「文書は手で読む」とわかったのです。

―手で読めることに特別な意味があるのですね?

はい。読みの効率を比較する別の実験では、手を使う頻度が多くなればなるほど、紙の良さが顕著に表れました。複数文書の矛盾点を探す実験では、紙はPCより速く作業できてエラー検出率も高いです。テキストから答えを探す実験でも、紙はPCやタブレットより速く答えを出しています。
紙は「見やすい」「目にやさしい」と評価されることが多いのですが、実は「扱いやすい」「手にやさしい」のです。
手を使う読みではページをめくる、ページ間を行き来する、栞がわりに指を挟む、複数の本を広げて比較するといった行為を自然に行え、それゆえに読みやすいのが紙の大きな特長です。紙は「表示メディア」というより「操作メディア」だというのが、私の持っている価値観です。

タグ一覧